梢子逍遥記

色々書く

ツイッターに対する見方

昨日はツイッターを7年ほどやってフォロワーが変わっていくことを書いたが、それのついでにこれを書けばよかったと思い今日書いている。(ブログでは基本推敲をしないのでこういうことが起きる)

ツイッターに対する見方〟

要するにリアルとツイッターという二項対立の図式だ。

リアルでは〇〇だけど、ツイッターでは△△という言説はまぁよく見かける。

ex リアルでは静かだけど、ツイッターでは饒舌。

まぁそういう人もいるでしょう。しかしリアルというのをひとくくりにしてよいのだろうか。リアルといっても、家、学校(ないし職場)、趣味、バイト先、部活(ないしサークル)・・・と人間関係は複数のコミュニティで形成されており、そこでどう振る舞うか変わるものではないか。

私自身の話をすると、小6のころ歴史、とくに三国志や戦国時代の話が好きだったのだがクラスでその話をできる人がおらず学校ではそこまで活発でなかった。一方、塾では歴史マニアの友人がおり塾に行くたびにくっちゃべったものである。そして学部1・2年のころやってた塾のバイト。バイトは金をもらうための場所に過ぎないという認識があったので終業時刻になったらすぐ帰るし、そこの同僚たちと言葉を交わすことも業務上必要があること以外はしていなかった。一方、大学では同期たちと毎週のように飲みにいったりしていた。

このように人はコミュニティで態度が変わる、にも関わらず「リアル」というくくりでまとめるのはいささか主語が大きすぎるように思える。

そして、リアルとツイッターの二項対立の文脈でよく語られるのが、ツイッターなどSNSの関係はしょせんネットでのつながりに過ぎずボタン1つで関係性が切れるというもの。果たしてそうだろうか。

会った場所がツイッターというだけで相手も生身の人間であり、友好関係をどれくらい進展させるかは人によるだろう。個人的にはフォロワーは部活やサークルなどの趣味つながりみたいなものだと思っている。まぁだからエンカもするし、必要があれば名前とか教えたりするし聞いたりもする。もちろんこれは私の意見に過ぎず、相手がどう思っているかは知らない。それこそリアルの部活やサークルであっても「しょせん部活だから」と割りきっている人もいるし、そもそもツイッターツイッターに過ぎないと考えている人もいる。

話はそれるが、SNSで知り合った人と会ってはいけない というのを昨今の小中学生では指導しているらしく、ツイッターではそれを「いやwwwもう俺ら手遅れだしwww」という感じで小馬鹿にしている風潮がある。が、あれは思慮分別のつかない小中学生に限っては正解だろう。高校生以上であればフォロワーがどういう人か(極端なたとえだとカルト教団とかそういうやべーのか否かとか)見極めるリテラシーがついているし、会うのは自己責任だが、小中学生にそれを求めるのは、ねぇ?

 

まぁ、とかくリアルとツイッターという単純な二項対立は少し粗があるんじゃないの?人によるけどさ。というお話でした。ちゃんちゃん。