梢子逍遥記

色々書く

正しい「評価」~或いは歴史学を勉強する意義~

渡英してしばらく経ちました。

よく、「海外にいくと日本のことを聞かれるから日本について知らないと恥だ」という言説を聞きます。まぁそれはある程度正しく、かつてドイツ留学をしていたときもそうですしここ最近も聞かれます。(もっともここ最近は日本の多発する天災について、 君の国大丈夫?ということがおおいですが。)

一応、日本史も国語も一般教養程度にはわかるので受け答えには困らないのですが、イギリス人の質問に答えるたびに、思ったより外国のことは知らないものだよなぁと実感します。流石にフジヤマ・サムライ・スシ レベルの認識の人は中々お目にかからないけどたいていは一部の界隈を切り出したもの・ひと昔前のものということが多いです。(たとえばオタク文化だけ知ってるとか、ソニーをはじめ日本の電化製品はすごいというかつての栄光のような話とか)

オタク文化というのが市民権を得るのに時間をかかったこと・コミケの開催が危ういこと、日本の電化製品がオワコンなことそんなことを知っているのはかなり数が限られます。ツイッターやらで日本の状況がリアルタイムで多角的にわかるこんにちにおいても。

逆の立場に考えると我々日本人がイギリスのことをどれくらい知っているかという話です。先日、日本の国民的アニメであるちびまる子ちゃんの作者が亡くなられましたが、イギリスにおけるそのポジションのアニメ、あるいは番組、そしてその作者・キャストを言えるでしょうか?多分ほとんどの日本人が答えられないと思います。そんなもんです。この辺はその国の言語をどれくらい理解してるか、とは別次元の話(実際、私はTOEFL ibtスコア120/120ですが先ほどのものは渡英するまでわかりませんでした)

 

まぁ、その国を理解するのは言語わかるのは必要条件に過ぎないということです。

そして、今回のタイトルに至るのですが、そのようなことを思いながらイギリス人らに日本のことを教えていたところ、ある院生が「戦国時代の話をしよう!」といってきました。彼はずいぶん日本の戦国時代が気に入ってるようで信長・秀吉はもちろんのこと、伊達政宗などの武将も知っていました。ある程度話をしていくうちに「で、君は色々詳しいが武将はだれが一番すきなの?」ときくと興奮しながら武田信玄かな!って言いました。で、まぁオタクの万国共通の特徴、早口言葉で信玄の話をしはじめました。で、ひとしきり称賛したあと、「まぁ息子の無能勝頼のせいでほろぶんだけどね」と残念な顔でつぶやき締めました。

 

武田勝頼。日本人の間でも一般的に長篠の戦いで織田・徳川連合軍の鉄砲の前に騎馬突撃をし惨敗、名将である父信玄が築きあげた領土を1代で失った愚将という認識がなされていると思います。

しかし本当にそうなのでしょうか?父信玄は名将だったのか。彼は戦争は強かったかもしれませんが外交関係はめちゃくちゃです。色々なところと同盟していたにも関わらず、後ろから襲う・弱ったところを攻めるを常套手段としていましたので・・・

そして勝頼は愚将なのか。結果的に1代で武田家を滅ぼしましたが、上記のような父の負の遺産を考えれば頑張ったほうとも言えます。なにせ長篠で敗北したとはいってもその後即滅ぶ国力ではなく、むしろ国の経済基盤的立て直しを図ってますし、ほかの戦では信玄が落とせなかった徳川の城を落としてたりします。

歴史学を勉強する意義の1つとして、このように、信玄=名将、勝頼=愚将という固定概念を捨て、史料を当たり彼らが本当にそのような人物だったのかという評価を自分なりに下すことにあると思います。

そしてそれは歴史学だけではないでしょう。私は医学研究科なわけですが、巷にあふれている「〇〇は健康にいい・悪い」というものに対して果たして本当か?と疑うようにしています。(人物評価と科学的エビデンスを同一視するのは厳密にはどうかと思いますが、ものを正しく評価するという点ではどちらも同じなのでまぁそこは)

英国に渡ってしばらくしましたが、このようにその国を知るということ、モノを正しく評価するということに考えながら・・・マギレスをやってます。はい。

では

 

ツイッターに対する見方

昨日はツイッターを7年ほどやってフォロワーが変わっていくことを書いたが、それのついでにこれを書けばよかったと思い今日書いている。(ブログでは基本推敲をしないのでこういうことが起きる)

ツイッターに対する見方〟

要するにリアルとツイッターという二項対立の図式だ。

リアルでは〇〇だけど、ツイッターでは△△という言説はまぁよく見かける。

ex リアルでは静かだけど、ツイッターでは饒舌。

まぁそういう人もいるでしょう。しかしリアルというのをひとくくりにしてよいのだろうか。リアルといっても、家、学校(ないし職場)、趣味、バイト先、部活(ないしサークル)・・・と人間関係は複数のコミュニティで形成されており、そこでどう振る舞うか変わるものではないか。

私自身の話をすると、小6のころ歴史、とくに三国志や戦国時代の話が好きだったのだがクラスでその話をできる人がおらず学校ではそこまで活発でなかった。一方、塾では歴史マニアの友人がおり塾に行くたびにくっちゃべったものである。そして学部1・2年のころやってた塾のバイト。バイトは金をもらうための場所に過ぎないという認識があったので終業時刻になったらすぐ帰るし、そこの同僚たちと言葉を交わすことも業務上必要があること以外はしていなかった。一方、大学では同期たちと毎週のように飲みにいったりしていた。

このように人はコミュニティで態度が変わる、にも関わらず「リアル」というくくりでまとめるのはいささか主語が大きすぎるように思える。

そして、リアルとツイッターの二項対立の文脈でよく語られるのが、ツイッターなどSNSの関係はしょせんネットでのつながりに過ぎずボタン1つで関係性が切れるというもの。果たしてそうだろうか。

会った場所がツイッターというだけで相手も生身の人間であり、友好関係をどれくらい進展させるかは人によるだろう。個人的にはフォロワーは部活やサークルなどの趣味つながりみたいなものだと思っている。まぁだからエンカもするし、必要があれば名前とか教えたりするし聞いたりもする。もちろんこれは私の意見に過ぎず、相手がどう思っているかは知らない。それこそリアルの部活やサークルであっても「しょせん部活だから」と割りきっている人もいるし、そもそもツイッターツイッターに過ぎないと考えている人もいる。

話はそれるが、SNSで知り合った人と会ってはいけない というのを昨今の小中学生では指導しているらしく、ツイッターではそれを「いやwwwもう俺ら手遅れだしwww」という感じで小馬鹿にしている風潮がある。が、あれは思慮分別のつかない小中学生に限っては正解だろう。高校生以上であればフォロワーがどういう人か(極端なたとえだとカルト教団とかそういうやべーのか否かとか)見極めるリテラシーがついているし、会うのは自己責任だが、小中学生にそれを求めるのは、ねぇ?

 

まぁ、とかくリアルとツイッターという単純な二項対立は少し粗があるんじゃないの?人によるけどさ。というお話でした。ちゃんちゃん。

 

 

 

長くツイッターをやっていて思うこと

こんにちは。

皆さん、ツイッターは何年ほどやっているだろうか?

私は7年だ。それ以前からやっている人もいると思うが日本人は2011年、というか3・11以降にSNSを始めた人が多い。スマホの普及と災害時のSNSの有用性が確認されたからというのが理由だ。

さて、7年もツイッターをやっていると色々な人と会う。

今現在もっている垢がリア垢(フォロワー500人程度)、いつも動かしてるアレ(フォロワー300人程度)、同人垢(メイン垢+同人活動の人たち)、クソ同好会垢、保険垢という塩梅で重複なしで大体900人くらいとかかわっていることになる。それに加え、7年の間でツイッターを去った人、リムられた人・リムった人などを加えると一応4桁の人と繋がったことになる。

個人的信条として「過去にこういうクソフォロワーがいてなwww」とやるのはあまり好きではないので(よほど目に余る人を除いて)、そういう話はしない。来るものは基本拒まず、去る者は追わずなのです。

じゃあどういう話をするんだというと

・フォロワーの生活の変遷

・フォロワーとの関わり方の変遷

の話をしようと思う。

リア垢を除いて、一番付き合いが長い人たちとは5年の付き合いである。そしてその人らとはerg・・・美少女ゲー繋がりだ。

ergということは当然18歳以上でなければならず、接していた面々の多くは大学生(すでに社会人になっていた人もいた)であった。大学生というのはまぁ夜遅くまで起きたり平日が休みだったりするもので、私自身ふくめずいぶん乱れた生活習慣をしていた。しかし彼らと出会ってから5年経った今、留年したり院進したりした人ですら社会人だ。

当時の界隈で未だ学生(博士課程を学生というかは割と微妙だが)の私はかなりマイノリティである。寂しい。

社会人になった彼らは最盛期のときのように深夜までツイッターをやってたり(一部やってる人いるけど)、仕事中にツイッターをしたり(一部やってる人いるけど)、リプがチャット並みにはやかったり(一部クソ早い人いるけど)はしない。医局で実験しながら片手でツイッターやってる社会を舐めた行為は社会人の多くには厳しい。

メンヘラじゃないのですれ違いが起きて云々というつもりはないが、彼らをTLで感じることが少なくなった。デレアニに出逢って以来、私はergを離れ、デレマス、そしてバンドリ、あとマギレコに重点を置くようになり今一番TLでみるのはそこの界隈の大学生たちである。・・・どうにも1人だけ取り残されている感じがしないでもないがまぁいい。

そして彼らとは昔のようにergの話をあまりしなくなった。私がergをやめたという理由もあるが、彼らもergからソシャゲに重点を移すようになっている。グラブル、デレマス、ミリオン、etc・・・もちろんまだergをやっている人もいるけれども。最初はergで関わりを持ち始めた人々が今は別の話題でかかわるようになっているのだ。

 

長くツイッターにいると、フォロワーが進学したり社会人になり浮上時間が減る、ある話題で接点をもった人とも数年後その話をしているとは限らない、そういうことだ。

色々状況は変わっても変わらず接してくれているフォロワーに感謝を(らしくない

 

文章を書くこと

さて今日で今年の夏コミが終わりました。

このブログをご覧になっている貴方、コミケにはいかれましたか?

私は2日目のまどマギ島だけ行ってきました。まどマギというかマギレコ。

アイマスやらの独立コードをもらえているほどの規模はなく、最近勢いが増しているバンドリほどでもない割とこじんまりとしたスペースでしたが、楽しめました。

 

今回は一般参加だったのですが、デレマスで4回くらい、バンドリで1回サークル参加してます。で、まどマギ(マギレコ)でも出すかーと思ったり思わなかったりしていますが「文章(というか小説)を書くのがめんどくさい」となってどうしたものかなーと。

同じ文章を書くことといっても、このブログやツイッターのようにとりとめのないことを書き連ねたりすること、

論文やレポートのように学術的な内容性があって形式が定められているものをかくこと、そして小説のような話を書くことというのはそれぞれ全く別な感じします。

ブログやツイッターは思いついたことをテキトーに書けばいいし、論文は書くことがきまってるし重要視されるのは新規性や再現性ですので、小説のような文章表現が冗長だとかそういうことを考える必要がないんですよね。

そして何よりも、自分の頭の中に思いついたことを100とした場合、悲しいかな30くらいしか書けないのです。私の文章力のなさゆえに。

私の場合、「あ、こういうストーリーで話かいたら面白そう」という着想は割と容易に思い浮かぶのですが、それを何千字、何万字と展開するのが非常に苦手で・・・

こういう話、どう!? で済ませないで文字に起こしたい。

デレマスで(今に比べて)活発に活動してきたときは、この問題にまじめにとりかかろうとして同じくデレマスで小説書いてる人たちと交流してましたが、「そもそも面白い文章ってなんだ?」となったり(いや、とりあえず書こう?という感じだ)、アドバイスをくれる人に対して「え、でもお前の文章おもしろくないしただ長いだけじゃんwww」と思ったり(アドバイスを謙虚に受け取るというのは必ずしも全肯定して受け取るものでとイコールではないのでそこはいいと思うけど)で進展がなく・・・

一次創作やるぞー!って前々からなってたのですが、多忙を言い訳にして進めていない

(毎日少しずつやるとかね、あると思うんですよ)

着想を文章という形で伸ばすのがストレスなのですね。おそらく。しかしなにかしら創作活動をしたい、特に自分が思いついたアイディアを形にしたいという矛盾した感情にさいなまれているんだろうなぁ。と。

私の個人的な信条として「趣味ではストレスをためたくない」というのがあるので、大方のソシャゲは無理です。作業したくないから。で、そんな人にとって創作活動という、自身の創作能力の欠如からくるストレスを同居させた作業をやるのが困難なんだろうなぁと。

・・・とはいえカタルシスを得たいので創作やるやる詐欺をやめたいですね。

同人垢を最近ぜんぜん動かしてたいのもなんかいたたまれないし。

平成最後のコミケ、笑って参加しような!

イデアで解くオタク諸問題

最近マジメな記事が多かったので今回はオタク全開な感じの記事で行こうと思います。

 

さて、まずタイトルにあるイデアですが、ご存じない方のために一応説明しますと古代ギリシャの哲学者プラトンの思想です。

モノにはそのモノにふさわしい理想的な存在が頭の中にあるという考えですね。

例えば北京という都市をきいて貴方は何を思い浮かべますか?

おそらく、というか99パーセントこれですよね。

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天安門

に対してまさかこんなものが真っ先に思い浮かぶ人がいるわけないですし、

これが思い浮かんできたらよほどの中国オタク

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居庸関っていう北京近くの関所です。最終防衛線でした。いや、歴オタじゃなきゃしらんでしょ。

 

さて、これで北京市イデアというのが天安門だといえると思います。

次にどうやってこれでどんなオタク諸問題を解くんだよって話に移りたい。

 

今回取り上げるオタク諸問題は

1、女体化(男体化も?) 2、擬人化 3、美少女化(美男子化も?) 4、コスプレ

の4点。まぁセットだったりしますがそれはおいおい。

 

主に1、の女体化の話をして2~4は軽く触れる感じにします。

1、女体化。(おそらく男体化もあるのかもしれませんが寡聞にして私は存じ上げないのでそこは省略)

先ほど、北京市イデアでマニアックな関所の例をだしましたが、私はまぁ中国史オタクです。ハマったきっかけは父が歴史オタクであったことで家のゲームソフトにコーエー三國志シリーズとかがあったことですね。三国志から中国史に入る人って結構多いと思います。おそらく小学校3・4年の頃だったと思います。

で、僕が中学生にあがると出たんですよ・・・三国志の女体化が。

恋姫夢想とかいうヤツ。あ、エロゲもありましたがアニメとかコミカライズもやってるので18歳未満でエロゲやってたとかではないですよ。エロゲはちゃんと18歳こえてからやってます。

話が反れましたね。コーエー三國志から入った僕が恋姫夢想を見たときの第一声は「は?」でした。

だってコーエー三國志関羽ってこうなんですよ

(横山三國志とかも読みましたけど)、まぁいずれにせよ髭が長い筋骨隆々のオッサン、なわけですよ。関羽といったら。

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一方、恋姫夢想の関羽()

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や、お前誰だよwwwwww

はえてないし、女だし。なに、真名って?きみの名前は関羽雲長でしょwww

・・・これを初めてみたときは本当に頭がパンクしそうになりました。

当時はまだ若く、パロディとかそういうものに対しての寛容性がまるでありませんでしたので頭がパンクしたのみならず、「これは歴史上の人物に対する冒涜だ!!!」とさえ思いました。

まぁしばらくして愛紗可愛いしいっかぁ。ってシコって有耶無耶になりました。(これだから思春期男子は・・・)

さらにもうしばらく時間を置いて、どうして「これは歴史上の人物に対する冒涜だ!!!」なんて考えに行き着いたかがわかりました。

 

義憤心から来たのではなく、自分の中の関羽イデアと、恋姫夢想にでてくる関羽のそれがあまりに乖離しており違和感を抱き、呆然とした。そしてその呆然とした感情に適切な名前を付けられずに、手っ取り早くつけられる「歴史上の人物への冒涜」という錦の御旗をくっつけ、違和感に蔑みという感情を定義づけたのではないか。と

 

ちなみに僕は関羽が大っ嫌いです。関羽様に対してこのような無礼許さない!とかにはならないです。むしろアンチですよ。上にへつらい下には厳しく、体育会系で・・・・。

だから関羽に対して義憤心なんか抱きようがないんですよ。

そして歴史に対する冒涜。いやいや、三國志なんか三国志演義自体が歴史への冒涜でしょ。三国志演技の天才軍師諸葛亮孔明をつくるためにほかの人を貶めてるし。

つまり、有能な諸葛亮孔明赤壁では八面六臂の活躍をし周瑜を出し抜いた天才軍師諸葛孔明程度にはイデアが揺るいでいないのでいいのですが、

髭モジャのおっさんの関羽→美少女になった関羽ちゃんにはイデアからの乖離が激しく誰だお前?? ってなるわけですね。

三国志関連でいうと三国無双とかいうビームうったりいろいろおかしい格ゲーありますがあれには耐性ありました。理由は上記の通りでしょう。

 

で、この「イデアからの乖離がデカすぎて違和感を感じ、その違和感に正しい名前をつけられないから適当にこれは〇〇への冒涜だ」といっちゃう理論、

最初にあげたほかの3つでもいえると思うんですね。

擬人化→艦これですかね。まさか艦船が美少女になるとは。乖離しまくってる。

美少女化→最近のゲゲゲの鬼太郎の可愛くなった猫娘とか。あんな可愛いのが猫娘じゃないって?それはイデアの乖離だってー

コスプレ→まぁこれをイデアで片すのは少し無理あるけど、〇〇のコスはこういうのじゃないとダメというイデアと実物が離れてるから起きているともいえるのではないか。

 

ほかにもいろいろ具体例はありますが、各々当てはめてみてください。

 

 

では             今日はおうち  こずえ

 

「フェイク」ニュースについて

いつものように医局でツイッターやってたら気になるRTをたびたび見かけました。

「ボランティアで単位認定 文科省、全大学に要請」という日経の記事。

www.nikkei.com

さて、このボランティアって何のボランティアでしょう?

1、西日本豪雨被害の復興支援

2、来る2020年東京五輪

3、両方

4、どちらでもない

 

正解は4、どちらでもない です。

おそらく、多くの人は1~3、特に2を選んだことかと思います。

東京五輪の無償ボランティア、悪名高いですからね。

しかし、さっきのURL、ちゃんと飛んで日付見てください。

・・・2011年4月5日付けなんですよ。

はい、3・11に関する記事なんですねこれ。

 

ここで表題回収です。

フェイクニュースとは何も、明らかなウソや、虚構新聞、マスコミの統計調査のみをさすものではありません。こういう事例もフェイクニュースといえるのではないでしょうか。(まったくのウソではないので「フェイク」ニュースとした)

確かに東京五輪に関して単位をエサにボランティアを求めることはありそうですが、それは今のところ予想でしかありません。

見出しから ボランティア→東京五輪→なんだこれは!と脳内連想ゲームするのはダメですよ・・・

(もちろん、過去にこういうコトがあったから、2020年もこういうことになるだろうし、直近の西日本豪雨でもあるだろうな という文脈で語る分にはいいと思いますが。)

 

私のフォロワーの殆どは高いリテラシーを持っています

(少なくとも、虚構新聞を真に受けたり、ネトウヨのような出典不明なもの、水素水のような非科学的なものにひっかからないでしょう)

が、TLでこの記事のRTを何件も見ているのです。

なぜか。

おそらく出典が日経だから、信頼できるソースだと思ったのではないでしょうか。

現に私もそう思うでしょう。

ただ、私は

・この7年前の記事の見出しをよくよく覚えていたこと、

・後述する事件により日付に割と敏感になっていること

によりまぁこれが2018年のモノじゃないなと分かりました。

で、後述する事件というのがこれ。

 

www.nikkei.com

これも、今回のボランティア支援のRT同様、元記事の数年後(確か去年かおととし)にツイッターで拡散されてました。

私は大学院生という立場上、「あ、これ昔の記事じゃん」とすぐに気づきましたが、一時期はツイッターのトレンドに入るレベルで言及されてましたので、

オイオイ、日付は確認しようぜ・・・となった次第です。

 

ソースが正しくても過去の記事であれば、現在と状況が変わっている可能性もありうるので、最新のものをあたりましょう。

「でも一々元記事読むわけにはいかないでしょ」という貴方、その指摘は正しい。

私も一々全部の元記事は読みません。

・自分にとって重大な関係性を持つもの(医療制度・博士の処遇等)、

・間違った情報を流すと社会的に重大な影響を及ぼすもの(災害情報など)

この2点のみです。

例えば、どこそこの声優が結婚した・離婚したとかは私にとってどうでもいいので真偽は確かめないし、言及すらしません。そんなことしてたら1日24hじゃ足りないって。

 

要求されるリテラシー、どんどん高くなってるなぁ、と思いながらここらで締めたいと思います。

では。

ps 次回はそろそろ硬くない感じの記事を書きたい

 

                         涼しい医局から    こずえ

 

 

医学系研究科について

暑いですね。

クーラーをつけないと熱中症になるレベルの気温の中、

医局は冷房剥奪されねぇしなぁ と思いながらダラダラ研究してます。

 

で、今日は医学系研究科についてお話しておこうかと思います。

大学院の医学研究科は少々ほかの研究科と違いややこしいのですね・・・

他の研究科の場合、

学部4年間(学士)

大学院2年間(修士課程・マスター) ここで就活する人も多い

大学院3年間(博士課程・ドクター)

こうなっていますが、

医学系研究科の場合、2ルートあります。

1、医学部医学科を卒業した場合 2、それ以外の学部学科を卒業した場合

による場合分けです。

 

1、医学部医学科を卒業した場合

学部6年(学士)

大学院だいたい4年(博士課程)

修士課程がないのですね。医学部医学科は学習すべき内容が多いため、学部生ながらほかの学部学科の人らと違い6年通います。これはご存知の方も多いと思います。

で、大学に6年通っているので学士4年+修士2年みたいなもので修士号はないけど相当の学力があるよということで博士課程へと直結する形になります。

 

2、それ以外の学部学科を卒業した場合

学部4年(学士)

大学院修士課程2年 医学系研究科(修士)or他研究科(修士)

大学院博士課程3、4年 医学系研究科(博士)

医学部医学科以外は学部は4年しかないので修士課程にいく必要があります。

ここで医学系研究科(修士課程)か、他研究科に行くことになります。

ちなみに、医学系研究科(修士課程)は、医学部医学科が修士課程を経ずに博士課程へと行くため、医学を専攻していない人向けになっています。

昨日のシュタゲの脳神経科学で話をしたように、医学部ではないけど医学に関係している研究をしている人はいるため、彼らの教育機関となっています。

文系も結構います。

医療経済(経済学)、医療政策・医事法(法学部)、医療統計学・疫学(法・経済学部)、医療倫理(文学部)、心理学系といった分野がありますので

もちろん、修士課程で医学系研究科に行かず、博士課程から医学系研究科にということも可能です。

つまり、医学研究科(博士課程)だと

ⅰ医学部医学科を卒業して医師免許を持っている人、

ⅱ医学部医学科以外から医学研究科修士課程に行った人、

修士課程でも医学研究科でなかった人

と大きく3種類の人がいます。出身学部学科等を考えると相当にバラエティに富んでいます。

あ、ところでさっきから医学部医学科という書き方をしていますが、医学部には保健学科といって放射線技師などの医者以外の医療従事者向けの学科がありますのよ。

 

近いうちに医学研究科だけでなく大学院全体のお話もする予定です(他専攻分野に行く経路とか院試対策とか。多分需要はあるでしょう)

 

では    クーラーのきいている医局から こずえ